ちっちゃく生きる(奥田順平さん、奥田直美さん/カライモブックス)
新刊はほんの少しだけ。Webショップで本を買ってくれたお客さんには、一筆箋に日々の出来事を書いて添える。自分たちが聞きたいことを聞くために「カライモ学校」を開く。後編では、店と暮らしが入り混じるカライモブックスの日々の営みをさらに掘り下げます。そして後半では、カライモブックスのかたわらで直美さんが続けてきた校正の仕事へ。ゲラとどう向き合い、どこに鉛筆を入れるのか。古本屋と校正者、ふたつの仕事を通して、おふたりがどのように働き、暮らしているのかを伺いました。
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https://note.com/pub_field_prj/n/nabb752e8db61
編集の舞台裏
インタビューを終えたあとも、私たちはそのままカライモブックスに残りました。収録していた仏間に人が集まり、写真家の森田具海さんたちも加わって、今度は順平さんの手料理を食べながらの宴会です。ついさっきまでインタビューをしていた場所で、今度はみんなで飲み、食べ、話す。もちろん録音はしていません。
後編のなかで、順平さんは森田さんについても話しています。水俣病にかかわる人とそうでない人のあいだには「どこか薄い膜」がある。その膜を越えていく人として森田さんたちの名前を挙げ、「ああ僕もうなんか幸せやな」と語ります。インタビューのなかで名前を聞いた人と、その日の夜には同じ場所で酒を囲む。フィールドワークのおもしろさは、こういうところにもあります。
そして私には、ひとつ大きな後悔があります。この日は車を運転しなければならなかったため、酒を飲まなかったのです。みなさんが飲んでいる横で、ひとり素面。いま思えば、運転代行を頼んででも飲めばよかった。せっかく順平さんがうまそうな焼酎を用意してくれていたというのに! インタビューそのものはきちんと記録に残ります。でも、録音を止めたあとに始まる時間は、その場にいた人のなかにしか残りません。順平さんのお父さんの話が抱腹絶倒だった。次に水俣へ行くときは、車を置いていこうと思います。
PFP活動報告
先日、三重県尾鷲市で140年近くにわたって続く書店、川崎尚古堂を訪ね、インタビューを行いました。尾鷲市は私の地元。小さいころから、ほぼ毎日のように通った書店です。
今回、あらためてその歴史を伺ってみると、長い年月のなかで失われてしまったものも少なくありませんでした。かつての火事で古い資料の多くは焼失し、代々の記憶もすべてがそのまま受け継がれているわけではありません。それでも話を聞いていくと、創業者の栗原実也から川崎家へと店が受け継がれてきた経緯や、尾鷲の町とともに書店が歩んできた歴史が、少しずつ見えてきました。そして、「尚古堂」という店名を名づけたのは尾崎咢堂だったという話まで! まだまだわからないことも多く、現在も調査を続けています。子どものころから通っていた一軒の本屋に、こんなに長い歴史が埋まっていたとは思いませんでした。
そして、10月の関西フィールドワークに向けた準備も、もりもり進んでいます。10月10日のジュンク堂書店創業者・工藤恭孝さんの公開インタビュー(詳細・お申し込みはこちらから→https://forms.gle/d8VXWhFDq12VUeub7)をはじめ、翌11日にはジュンク堂書店を支えた福嶋聡さん、岡村正純さんへのインタビューも予定しています。現在、メンバーで資料を読み、質問を出し合いながら準備を進めています。
Book in Action!!(7)
前回の水俣行きから半年後、私はまた水俣にいました。今度はカライモブックスの奥田直美さんと奥田順平さんにインタビューをするためです。オンラインでもできたはずのインタビューを水俣でやる。そこに行かなければ出てこない質問がある。そこに行かなければ会えない人がいる。今回掲載したインタビューはそうやって生まれました。
インタビューの日の午前中、市立水俣病資料館へ行きました。そこでどうしても引っかかったことがあります。「チッソの技術や原料から作られるものをなくしたら、私たちは、今の生活を続けていくことができるでしょうか?」「水俣工場で作られるものからできる便利な製品を求める人たちの気持ちが、工場廃水を止めることを遅らせたのかもしれません」。私は非常に不愉快になりました。たしかに、私たちは便利な製品を求め、その恩恵を受けてきました。それは本当です。だからこそ、ずるいと思いました。本当のことを使って、水俣病を生んだ構造上の問題や責任を「便利な生活を求めた私たち」の物語へ組み込んでしまう。みんなにも少しずつ責任があった。私にも、あなたにも。そうやって責任を分け合えば、誰の責任だったのかはどんどん見えなくなります。責任を希釈しやがって。
翌朝、水俣である人に出会い、来し方を伺いました。秩父で生まれ、東京で働いていましたが、ある日水俣を旅して、そのまま住みついたのだといいます。いまから50年ほど前のことだそうです。水俣で長く暮らしてきたその人が、最近になって秩父へ帰ろうと思っている、と言いました。驚きました。なぜいま秩父なのか。水俣湾で、水銀に汚染されたヘドロを封じ込める埋め立てが始まったころ、その人はすでに水俣にいました。現在のエコパーク水俣です。そして最近、埋め立てに使われたコンクリートには、故郷・秩父の武甲山から採掘された石灰岩が使われたのではないか、と思ったのだそうです。
秩父の武甲山は石灰岩の採掘によって削られ、山の姿を大きく変えています。その人は水俣で人に寄り添い、田畑を耕し、果樹を育て、長い時間を過ごしてきました。武甲山の石灰岩が本当に水俣湾の埋め立てに使われたのかはわかりません。本人も事実としてそう主張しているわけではありません。そんなことを確かめたいという話でもありませんでした。水俣で長く生きてきた自分と、削られた故郷の山肌が、その人自身の問題としてつながった。そして、だから次の人生は秩父で過ごしたいのだ、と。その話を聞いて、私は感動しました。
前日に資料館で見たものとはまるで逆でした。資料館では、水俣病を生んだ構造上の問題や責任を「便利な生活を求めた私たち」へと広げていく。責任の所在を「私たち」へ広げれば広げるほど、それは誰のものでもなくなっていきます。一方、その人は、誰かから「あなたの問題です」と言われたわけでもないのに、遠く離れた故郷の削られた山肌を、自分が水俣で生きてきた時間とつなげていました。片方は自分たちの問題を「私たち」の問題にしていく。片方は遠くにあった問題を「私」の問題へ引き寄せていく。私はその見事な反転にとても感動しました。すっかり感化され、その場で秩父へ行くことを約束しました。
本を読んで水俣へ行き、人に会ってもう一度水俣へ行き、水俣で人の話を聞いて、今度は秩父へ行く。誰かに「あなたの問題です」と言われたからではない。人の言葉によって、それまで自分とは離れていたものが、自分のなかで勝手につながってしまう。そうやってまた動いてしまう。
まさにBook in Action!!
次は秩父へ行かねばならぬ。(榎)
編集後記
第7号も最後までお読みいただき、ありがとうございました。今回は、カライモブックス・奥田順平さん、奥田直美さんのインタビュー後編「ちっちゃく生きる」をお届けしました。前後編を通して、京都から水俣へと続くカライモブックスの歩みと、おふたりの仕事や暮らしについて伺いました。次号では、元筑摩書房・菊池明郎さんのインタビューをお届けします。営業部員として入社し、会社の再建、営業改革、文庫・新書の立ち上げ、そして経営へ。50年以上にわたって出版の現場を歩んできた菊池さんに、「本を売ること」と「本が売れる会社をつくること」を伺います。どうぞお楽しみに。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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